女川町店舗マップ

昨年暮れに女川町で営業再開した店舗情報のマップを作りました。

 


より大きな地図で 女川町店舗マップ を表示

 OSやブラウザの環境によっては埋め込んだマップが表示されませんが 上記のリンクをクリックすればマップが表示されますのでそちらを御覧ください。 随時更新してきたつもりですが未掲載の情報がありましたら連絡ください。

灯 〜TOMOSHIBI〜

コンテナ村商店街イルミネーション「灯 〜TOMOSHIBI〜」の点灯式が今日の16:30から行われました。
女川で支援活動を行なっているリアルアイさんを中心に世界中(外国人のボランティアさんがゲートの組立をしていました。)から支援をしていただき素晴らしいイルミネーションが出来上がりました。


津波でここにあった会社の事務所や工場は無くなってしまいましたが7月に商店街ができ、更にこのようなイルミネーションに彩られお客さんが喜んでいる姿をみると土地を提供しただけですけど本当良かったです。
期間は25日(日)1月中旬まで延長されるそうです。時間は16:30〜20:00の間、点灯しています。

場所はこちら

仮設住宅入居

当初の9月下旬入居予定から遅れること数週間。
10月10日に鍵を受取り徐々に荷物を搬入し、19日から町民野球場の仮設住宅に入居しました。
写真は荷物搬入前の状態(同じ向きで昼と夜)で、荷物を搬入した現在はとてもお見せすることは出来ません。
感想は、アパートと学生寮の中間といったところでしょうか。狭くて物の置き場に困っています。
不満を言うときりがないです。
長い付き合いになるかもしれないこの仮設住宅にあわせて生活していくしか無いかなと思っています。

今回先行して入居できたのは2階建ての3棟45世帯で、残る6棟144世帯は11月6日からの入居らしいです。
そのため、連日休日なしで遅くまで突貫工事が行われています。

応急仮設住宅

町民野球場に建設される応急仮設住宅に当選しました。
http://www.shigerubanarchitects.com/SBA_NEWS/SBA_van_p2.htm
建物は着工したばかりで完成が9月なので、入居までまだ約2か月待たなければなりません。
設計者が坂茂さんで2〜3階建てと話題性のある仮設住宅ですが、全188戸中今回当選したのが19戸のみと人気が全く無かったのが気がかりです。第二希望でも全戸埋まらないかもしれないですね。
http://www.town.onagawa.miyagi.jp/jishin_20110311/20110728_kasetsujyutaku_tousenkekka.pdf

「あの日」のこと

震災直後の4月2・3日に取材していただいた写真集が発売されました。
東日本大震災 2011・3・11「あの日」のこと 高橋邦典

震災前に出演されていたNHKのディープピープルという番組を見ていたので自宅の前で出会ってビックリでした。
本の中で自分達の写真についているコメントは前にブログで書いたような被災当時の状況を聞かれたものが載るのかなと思っていたら、高橋さんと取材に応じてくれそうな近所の人の所に案内しているとき何気なく話したことが書かれていました。震災後1ヵ月は気持ちが昂ぶっていて「とにかく復興させるんだ、会社を再建するんだ。」と思っていました。
震災から3ヵ月が過ぎ今は少し落ち着いてきて、復興・再建についての考えも変わってきています。あまりにも被害の規模が大きすぎて行政の進めている復興計画でさえ現実味が感じられず、かといって自分一人で出来ることをやっていっても会社の再建にはどれだけの時間が掛かるのか見当もつかないというのが本音です。
写真集はお勧めです。
ポプラ社
アマゾン
自分にとって「あの日」のことは地震発生時ではなく、津波に自宅と会社が飲み込まれた 2011/03/11 15:32:27 です。

震災から2か月

今日で津波に襲われてから2か月となりました。
自分と母、妹、姪、甥、愛犬の五人と一匹は4月中旬、母方の叔父の経営しているアパートに空き室がでるということで大崎市(旧古川市内)に越してきました。
引っ越してから、いろいろな手続き等で市内各所に行きましたが被災した身ということもあり、親身になっていただき有難かったです。町内会の会長さんにもいろいろ配慮していただきました。
子供たちは、始業式には間に合わなかったものの小学校にすぐ受け入れていただき、子供たちも学校に直ぐ馴染み楽しそうに通学しています。
母も叔父が近所にいることで安心しているようです。
ということで現在、家族全員落ち着いて暮らしています。
また自分は、先月末から知合いの会社で被災した住宅に対する応急修理の現地調査・見積を手伝って欲しいと依頼がありアルバイトとして手伝っています。
その合間に商工会や組合、復興関係の会議等で女川に通っています。
さて、2か月過ぎたということで震災当日と翌日に撮影した写真もアップしていきます。
まずは、地震直前。
工事現場の屋根の上で工事写真を撮影しているところに地震が来ました。
幸い骨組みだけだったので建物が撓って(しなって)それ程恐怖は感じませんでした。

工事を中止し事務所に戻ると書棚から落ちた書類が散乱してました。

その後、夜に備えてラジオと懐中電灯を用意して自宅玄関前で町の様子を眺めていると、土煙が上がり電柱が折れてきてオヤッと思ったら津波に押されて瓦礫が迫ってきたのです。津波が来るとは全く思っていませんでした。その時、母は台所で片付けをしていました。自分が気付かなかったらと思うと本当に幸運としか言いようがありません。この時、携帯電話の回線は切れていましたがツイッターは繋がっていて関東の女川出身者の人達と状況をやり取りしていたので自宅の玄関から町(女川湾)の方を眺めていたわけで、ツイッターをしていたこととフォロワーのお陰で家族共々助かったと言えます。
津波というか瓦礫に追われて、母と愛犬と駆け上がった寺道から。中央奥に見えるのが押し上げられてきた自社の工場。

津波が引いた後、寺道の坂に押し上げられた瓦礫と工場。

この日は丁度、津波に合わせるように雪が降っていました。

その後

3/22~23に撮った写真です。

照源寺入り口付近

崎山公園から見た女川

備え付けの望遠鏡をのぞく自衛隊の人

崎山公園の地割れ

石浜の辺り?

宮ヶ崎の辺り?

女川第一中学校から(1)

女川第一中学校から(2)

女川町立病院から見たマリンパル辺り

兄のメッセージ

ウランはあいかわらずだった。

現状報告

いつも兄がお世話になっております。
3/11の地震後の津波によりライフラインが遮断されている為、一時帰省した弟(しゃでっこ)が兄からのメッセージをUPさせて頂きます。
自宅、事務所が流失し工場も津波で押し潰され女川町内で避難している叔母宅でも電気・水道・電話がいまだに復旧していないため東京の弟に依頼しての更新です。
残念ながら叔父が亡くなったものの、残る女川町内に在住する阿部養助の子孫は全員無事生存しています。
自分と叔父秀一は共に自宅、事務所、工場を失いました。しかし再起へ向けおのおの避難先でまずは生活環境を整えるべく動き出しています。
皓子、良子、祥子叔母さん達の家は無事でした。
この様な状態で連絡するのもままなりません、生活基盤が整ってくればゆっくり連絡できるようになると思います。
ツイッターは比較的更新しやすいのでたまにツイートしますので近況はそちらで報告します。皆様に元気な姿を見せることができるようがんばります。
それではまたお会いできる日まで。
以上、兄の文章になります。

阿部 養 NEVER DIE!

外部足場架、土台敷き

今日から現場での作業再開です。
先ず、外壁や屋根等の高所作業をするための外部足場を組立てています。
組み立てるのは鳶(とび)職人さん達です。

大工さんは、基礎の上に土台を敷いています。

基礎と土台の間には基礎パッキンと呼ばれる樹脂製の部材が取り付けられます。
(上の写真で基礎の上に取り付けられている黒い部材)
基礎パッキンにより基礎と土台の間に隙間を作り、床下に湿気が籠らないよう換気を行います。
この土台の上に柱をはじめ上部構造が立ち上がるので土台の通りと水平を調整しながら敷いていきます。
また、土台は建物に掛かる力を基礎へ伝える役割の部材であり、構造材で最も地面に近いため防腐性・防蟻性の高い材料にする必要があります。
この建物では木材に防腐・防蟻処理(薬剤注入)を施したものを使用しています。

土台敷きが完了し、来週月曜日から加工済みの木材を搬入、10日から建て方を開始する予定です。